神使のあちゃぽん

八十九です

あちゃぽんのシリーズ最終回になりました。

なぜ今回あちゃぽんを取り上げたのかといえば、

神使という存在は何なのだ?という思いからです。

皆さんは「神使ねえ・・・」という感想ですよね。

我々は神使という存在は受け止めていますが、

では神使という存在を説明できるのかと言えば・・・まず、

出来ません!!神様の使いがどのような存在であるのかを

言語化して他人に伝えるのは非常に難しいのです。

この難しさを宗教的に、または哲学的に、もしくは民俗学的に

考察すればなんとかなるのでしょうか?まず無理なような気がします(^_^)

今回のあちゃぽんシリーズは、そんな神使になったあちゃぽんの

物語(過去記事)と合わせて読んでいただくことによって

「神使って何だろう?」と考えていただくきっかけになればと思いました。

八十九

竜胆(りんどう)です。

八十九爺が産土神さまから教えてもらったお話です。

『人が“感謝”を理解する、

“神仏に感謝をする”と言うことはな、

自分という人間がなんて、浅ましい人間なんやとか、

感じてしまって自分のことを愛せなくなるんや。

わかるやろ?

そうなると、また落(堕)ちるわけや。な?

感謝を知る、ありがたいと思う、

ああ、なんて自分は

ダメな人生を生きてるんやと思う、

自分を愛せなくなる、落(堕)ちる…

あかんやろ?

だから、難しいんや。』

(そうですね…)

神さまが急に話を変えて、

『お前、最近、頑張ってるな、』

とあちゃぽんに向かって仰っいました。

あちゃぽんが

「ありがとうございます。」と答えました。

神さまがあちゃぽんの頭を撫で、

金色の木の実のようなものを

あちゃぽんの口に入れました。

あちゃぽんがぱあーんと弾けるように一瞬大きくなって

しゅーと元のサイズに戻りました。

今まで通りのあちゃぽん?

何か変わった?と思って見ると、

あちゃぽんの左の耳が金色になりました。

『お前、ようがんばってるからな、褒美や』

とあちゃぽんにおっしゃって

『ほんならな』と行かれました。

神さまは何をおっしゃりたかったんだろう…

八十九爺から話を聞いて

二人で考えました。

考えてみたら、

あちゃぽんも理由はどうであれ

過去にはあかんことをやってきた。

後悔するようなことも、

というか、後悔しきりだろうなと。

でもその中で落(堕)ちることなく、

いや、一度は落(墮)ちていたのかもしれません。

でも、

自分を許して、

愛して、

前を向いて頑張っているやろ?

ってことを伝えてくださっているのだなと気づきましたおねがい

神さまがいつもこうやって

さまざまな『教え』をくださることに

感謝したというお話でした照れ