お盆なので

八十九です

街中を歩いていると「あの人なんか目立ってるよな」という人物がいます。

種類は二つ、波動が高い人か波動が低い人か・・・ということになります。

ザックリどちらも100人に一人くらいいるのでは・・・と思っています。

そして私のところに「剥がし」の依頼を持ってくる人には、この二種類の人が確率的に多いということです。

軍荼利明王気操術では剥がしが出来ないとどうにもなりません。自転車で言えばタイヤのようなものです。とにかくどんな種類の霊的存在であったとしても依頼者から退去してもらわないと「気の充実」が出来ないので”無理やり剥がす” ”取引をする” ”説得する”などを試みます。

まず死霊などの場合は説得が多いですね。彼らはとにかく悲しいので「そこの場所や、その人に憑いても貴方の時間は進まないので、まず現状を替えませんか?」と、問いかけます。

ここで大切なのは、理解は必要ですが同情は一切しないということです。死を受け入れないとか、現状を理解しようとしない、というのはその霊の勝手な事情なのでこちらが同調(波動を霊の波動形に近づけること)する筋は一切ない、私はそういう存在なのだと語りかけるのです。

だが、貴方がこのままでいると依頼者が可哀想だから「こんな提案があるよ」というやりとりを繰り返します。

霊は「なんだこいつ」という反応をしますが、こちらの提案が魅力的であれば耳を傾けます。仏のお力を借りて成仏したい霊もいますが、現状からの変化だけを望む霊もいます。この場合は綺麗な水の中に霊を移して「ご苦労様」と念じて水道に流します。

また、死霊ではなく「餓鬼」「餓鬼群」「亡者」「西洋の魔」などはもう少し話が入り組んでいて、方法論はその時その時に相手と相談して決めてゆきます。

そしてやっかいなのが生霊です。(ほんまにやっかい)

感覚としては、彼ら生霊は確かに現実世界で生きている人の霊体なのですから話が通じそうです。しかし実際は「まったく話の通じないエネルギー体(霊体)」なのです。

私の個人的見方ですので、ぜひご容赦をいただきたいのですが、あの状態を生きている人間に例えるならば「薬物を大量摂取して暴れているマッチョ」ということになります。ですから無理やり剥がすしかない、というのが私の生き霊に対する見解になります。

宗教を背景にした意識の集合体(信仰と習合した死霊)もやっかいですが、なんの説得も効かない生霊はこんな感じでやっかいなのです。そして極め付けに生霊がやっかいな事情としては、剥がしてもまたやって来るという事なのです。もうやっかいの二乗ですよ!!

お盆で人に会うことも多いでしょうが、できるだけ生霊は飛ばされたくないですね。