「幸運・不運」と「幸・不幸」

八十九です

人生色々ありますね。

出来るだけ幸せに生きたいと思うのですが、何が幸せなのかは人によってぜんぜん違います。

このことを考えるようになってずいぶん時間が経ったのですが、究極の結論は「私は幸せ、私は凄い、私は大丈夫」などという自己肯定感が有るのか?無いのか?というのが結論なのかな・・・と最近は思っています!!

ではでは、さてさて!なのですが、私たち夫婦には今まで何柱もの神使・眷属が憑いてくれています。そんなですからきっと私たち夫婦には良いことばっかりがおこったり、何かあっても素晴らしい助言をもらえているはずだ!!と、思われているかもしれません。

しかし!それは違います。どうやら私たち夫婦が背負う修行では辛口の助言がせいぜいで、彼らにとって人間(私たち夫婦)の幸・不幸や幸運・不運は大したことではないようなのです。ですから決して神通力で私たちを億万長者にしてくれる存在ではないということのようです。

彼らはいつも私たちに「自分で考えろ」「立場を代えて考えてみよ」「同じ答えでも前向きに行動せよ」「流れを読んで争わず、どのように行動できるかを考えよ」「他人に振り回されるな、自分の宇宙を先に回せ」「自分をいたわり、自分を愛でよ」「停滞させるな流れ(行動)を作れ」「感謝の気持ちを忘れるな」などと毎日のように言われます。

簡単に説明すると我々に都合の良い存在ではなく、やすやすとお願いは叶えてくれないのです。

そんな彼らの言動の中で『おやっ!』『へえー!!」』というものを要約してゆくとある方向へ導かれます。それが「幸・不幸は人の心の有り様で決まる」という事と「幸運・不運は誰にでも降り注いでくる」という事です。

要するに「幸・不幸は人の心の有り様で決まる」という事ですから、努力の過程で幸せ・不幸せは自分で導くと言えるのでしょうね。次に「幸運・不運は誰にでも降り注いでくる」という事ですから、運は自分ではどうにもならない、だから幸・不幸(自分の向き合い方)で処理しなさいと言われているのだなあ、と感じています。

なるほどー!「運」はどうにもならんということか。しかし、まだ気になることはありますよ、それは「命」です。宿命・運命などといいますが、彼ら神使・眷属は宿命・運命について触れたことはありません。ですが・・・

ここに、おそらく道教や陰陽道が絡んでくると思っています。(謎は深い(^^;)

最後に、彼ら神使・眷属が必ず聞いてくれる事柄をあえて挙げるるとすれば、結界を張ってくれていることや、巨大な悪意のあるエネルギーを叩き落としてくれる事でしょう。これはめちゃくちゃありがたい事なのです。

しかしながら!このことだけでありがたい事なのに、我々人はこの感謝の気持ちをすぐに忘れてしまいます。

ん〜、あきませんな〜。