量子論

八十九です

「デジタル」とは?と突き詰めると「1」と「0」のことだ!!になりますよね。

それを「有」とか「無」に置き換えると、なぜか哲学や宗教に直結するので不思議です。

「1」「0」という「ON」「OFF」の概念が革新的技術であるのは、今までアナログ(連続的)でしか処理できなかった情報をデジタル(階段的)で処理し、これによって人類は情報の高速処理を手に入れたわけです。

この原理を「簡単」に、そして「無理やり」に例えるために、低い所から高い場所への移動をイメージしましょう。

(例)我々は山道を登っています。傾斜は連続していて空を飛ばない限り山道に支配されていてコツコツ一歩一歩登るしかありません。しかし山道に階段を作れば「踏みづら:処理回数」「蹴上げ:半導体の性能」によって生じる「一段」が、効率的な処理を生み出します。このようにデジタルはアナログとは比べ物にならない高速処理が可能になったのです。

フフフッそういう訳で、我々はデジタル概念が先端の技術や理論であると知っているのですが、我々の最先端技術はついに量子論による量子コンピューターをも生み出しました。

ではでは、いったい量子論とはなんなのか?なんだかややこしそうですよね。ざっくり言うと「相対論」が”時空”についての建て付け論であるとすれば、「量子論」は”物・モノ”についての建て付け論といえます。

その量子論で構成された量子コンピューターとは一体どのようなものなのでしょう?

そいつは階段である「1」「0」だけではなく「1・0」が同時に存在する概念で処理される機構であるということです。

この概念を先程の低い所から高い場所への移動に例えるならば、山道の階段が突然エスカレーターとなって動き出します。我々はそのエスカレーターでは立ち止まっているのですが、運動するエスカレーターは我々を高いところへ運んでゆくのです。これは、立ち止まる「0」、登る「1」に加えて、立ち止まっているが登っているという(二つの状態が併存する)「1・0」、が重なった状態が存在しているということなのです。

どうですか?めちゃくちゃ処理が早くなりましたよね。

これは量子論的に表現すると、二重スリット実験の「光子の振る舞い」そのもので、光子は「粒」であって「波」なのだという状態、つまり「粒」「波」が「粒・波」として同時に存在するという概念そのものだともいえるのです。

さてさてここからは、今回、重く、軽〜く考えたい事柄になります・・・

我々の物理世界はニュートン(古典物理)力学と量子力学で構成されています。そういう構造の世界なのだから、さまざまに世界が重ね合わさっているのも、また必然かもしれません。

    死人の次元(0:時が止まった世界)

    我々の次元(1:時が流れる物理世界)

    神霊の次元(1・0:全てが同時に存在する世界)

私は、これらが同じ場所に重ね合わさっているのではないかと考えています。

そしてこれらの世界のさまざまな情報を記憶できる装置の一つとして「水」があるのではないか・・・とも思っています。(ん〜勘ですが・・・論理的ではないですね💦)

しかしながら、それと同時に、私のようにエントロピーを背景にした工学を学んだ者にとって量子力学は大学生の頃から怪しげな学問(根拠は示せないが工学的には利用可能なテクノロジー:半導体など)と、思いがちな代物でもあります。(量子物理の人すみません)ですが「オーラ」「気」「霊体」など、位置エネルギーや熱学ではあらわせられないエネルギーの理解には、やっぱり量子論なのかなぁ、とも思うのです。

これを一言で言い切ると「なんかわからんけどこの宇宙は、要するに粒(ツブ:ミクロの世界)やな」ということなのでしょう。私のように大昔にシュレディンガーやハイゼンベルグという知の巨人(100年くらい前の・・・)の導き出した研究結果を大学で学んだ古い知識のおっさんには、これがギリギリ理解できる解釈なのです。

そんなおっさんが仮定として「水」を考察すれば・・・

「水蒸気は:1」「氷は:0」であり、水は「1・0」なのです。

すごい記憶装置だなぁ、と感じています!!

※かなり強引な理屈と知りつつも💦