四天王寺から庚申堂へ

竜胆です。

年末に大阪市天王寺区にある一心寺、四天王寺へお参りしてきました。

四天王寺は日本最古の官寺とされ、推古天皇元年(593)に建立された歴史あるお寺です。

左側に見えるビルは「ハルカス」です。都会の真ん中にあります。

第二次世界大戦の空襲で一部の建物を残し、境内のほぼ全域が灰となってしまったそうで、建物は比較的新しいものですが、創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現しています。

日本最古の建築様式である「四天王寺式伽藍配置」が特徴で、南から北へと中門・五重塔・金堂・講堂が直線に並び、その周りに回廊が建てられています。

金堂では聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りされています。

毎日11時より舎利出しの法儀が厳修されます。南無仏のお舎利を以て、参詣者の頭にあててもらおうと多くの信者さんが参詣されます。

知らずに伺ったのですが偶然にも11時ちょっと前だったので、お舎利(お釈迦さまの遺骨)を頭にあてて頂きました。

その時は訳も分からずでしたが、後で調べてみて、「わっ!そういうことやったのね!ありがたや〜」となりました。

この左側に屋根が見えている建物が金堂です。

四天王寺の境内は広大で中心伽藍以外にも六時礼讃堂、阿弥陀堂、大師堂、亀井不動尊、牛王尊の他たくさんのお堂があります。

この日は庚申堂へお参りさせて頂くのが目的だったので、南大門側から外へ出て5分ほどの場所にある場所へ向かいました。

こちらが南大門です。

庚申堂

庚申堂は日本最初の庚申尊出現の地です。

本尊は青面金剛童子(秘仏)。

大宝元年(701)正月七日庚申の日、豪範僧都が疫病に苦しむ多くの人々を救わんと一心に天に祈ったところ、帝釈天のお使いとして童子が出現し、除災無病の霊験を示され、以来千三百年、庚申の日及びその前日(宵庚申)に本尊に祈れば、必ず一願が叶うと尊崇されている。初庚申は最も盛大で、前日に大般若転読会、当日に柴灯大護摩供が行われる。

庚申の縁日には境内に「北向きこんにゃく」等の店が出て賑わう。
「病に勝る」「魔も去る」という三猿堂の加持を受ければ、痛い所もたちまちに治るという。

秘仏である青面金剛童子は60年に一度ご開帳されます。次のご開帳は2040年。

私たちが拝観できるのか?‥微妙に無理なような気がします 笑

豊臣秀頼再建と伝わる建物はやはり大阪大空襲によって焼失。今のお堂は1970年 日本万国博覧会の際に全日本仏教会が休憩所として建造した「法輪閣」で、閉会後に寄贈されたものだそうです。

以前ご紹介した高津宮といい、大阪市内の中心は空襲で焼け野原になってしまい本当にひどい状態だったんやなぁと思います。そこからの先輩方の立ち上がりの力強さに感謝したいと思いました。

写真は奉納された庚申塔群の一つ。「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿が刻まれています。

庚申塔とは庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことで庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いのだそう。

お嬢は以前、この石塔をひとめ見て「懐かしくて涙が出てくる」と泣いていました。過去世でなんらかの関わりを持っていたのでしょうか。

「庚申まいり」の日以外は比較的空いていますのでゆっくりお参りすることができます。