竜胆です。
認知症検査アプリなるものが登場したらしい。
60歳を過ぎて「認知症」というワードがリアルに響く私たち 笑
ボケたくないよなぁ、日頃から気をつけることとかあるんやろか。
恐怖やんなぁ。
という会話を夫婦でしていました。
河童ちゃんがやってきて話してくれました。
いつも通り八十九の同時通訳のような形で話を聞きました。
『人間の脳の病としての認知症についてはわかりません』とことわりを入れつつ、
『人間がこちらに持ってきているタマシイのサブタマシイのようなものがある‥って言っていいのかなぁ、悪いのかなぁ💦』
「え?(話したら)怒られる?」と私
「河童ちゃん自身もよく知らんところがあるねんね」と八十九が聞くと
『はい。本当に分からないところがあるのでございます。タマシイのことはむずかしゅうございます。ただ、私共がイメージしておるのは人間は、本当のタマシイがあって、(ここに生きる)人間とを繋げるためにサブのタマシイというのを持って生活しているってことです。
「心」ともいえるかもしれません、この場合は単に心というよりも、心と魂みたいな認識が混ざったものだと思っていただけたらいいです。
そしてそれは要するに「らっきょう」なのでございます』
「らっきょう?」
このらっきょうをピロピロ、ピロピロと剥いていくんですが、(認知症の状態とは、)新しく楽しいことを探したり、新しく困難なことに立ち向かうといった精神が内側からどんどん芽生えなくなり、最後には剥いたら空になってしまう。
で、このような症状になるのでございます。
ただし人間が物理的にもつ脳の障害、これはまた別の問題でございます。
なんですと⁉️
要するに、
私たちのタマシイ(心)は「らっきょう」みたいなもんで
それは新しく楽しいことを探して経験したり、
新しく困難なことに立ち向かうことで中身が充実している。
変化を嫌い新しいことから逃げたりしていると
皮を剥いていくといつかは空っぽになる。
それがボケるということなんでしょうか?
空っぽ。
新しい経験、
やったことないことに挑戦してみる、
難しそうだけどやってみる
ということを意識して積極的に生きていかなくちゃと思いました。
そういえば、眷属の龍ちゃんたちも
「同じところに留まっていたらあかん。流れを作らないとあかんで」
としょっちゅう言ってます。
「こんなすごいこと言っちゃって、河童ちゃんたちどうなん?」
『長老さまから、これはそろそろ教えてあげなきゃダメだよと言われておりますから〜』
「河童ちゃん、教えてくれてありがとう。
でも、あ、これらっきょうじゃなくて玉ねぎでもよかったよね。」という八十九に、
『何を言ってるんですかぁ〜!これはらっきょうがふさわしいのでございます!』と若干憤慨気味で言われました 笑