魔の存在 2

竜胆です。

前回の続きです。

魔の存在というのは単なるそのものの“ありよう”だというお話の続きです。

「カビ自体に悪意なんてものはなく、カビの好きな環境になったらとりつく。そして増殖していく」というのと、ちょっと似てるなと思ったのです。

先日、精霊さまからこんなお話を聞かせてもらいました。

『わしらはフリーダムやねん。それが好きでフワフワしてる。だから人間のために働くなんてことはしない。そんな勤勉さはないねん。それがしたかったら眷属や神使になってるっちゅうねんな。

(と、おっしゃってますが実際のところ、私たち人間を助けてくださることもあるのでは?と私は思っています。

先日も、『最近いろんな人間がご飯を「どうぞ」ってしてくれてる。困ったことにワシらに何かを願う人間もいてる。困ったことではあるけど、その子がええ人間やったらちょっと助けたろかなと思うんや』

とおっしゃってました)

わしらはな、質量をほとんど持たない存在やねん。だから、あんたらがいてるこの3次元世界に影響を及ぼすことはできないねん。

何かをしたいと思ったら仏や神から、または人間からチカラをもらわんとあかんねん。

あんたらがいうところの“魔の存在”っていうのはな、元をたどればわしらの仲間やねん。

まぁいうたらあいつらは勤勉なんや。ひとに憑いて、そこからチカラを取って、あいつらなりに働いとるということや。

あいつらにしたら人間に憑いて、“ロールプレイングゲーム”をしとるようなもんなんや』

「うへぇ!ロールプレイングゲームですか?」

『そうそう。人間に取り憑いて生体エネルギーを奪いながらその人間を“操作”しとるんやな』

前回お話した魔の存在からの攻撃というのは、

魔の存在が憑いているその人間が私たちを憎いと思う、そうすると、魔の存在が

「お前の思う通りや!怒れ!よっしゃ!攻撃しろ!」ってことで

一体化して攻撃してくるという展開なんですね。

おそらく、自立(するために自律)して、自分の個を確立しようとしている人間には取り憑かない。

あやふやで、個を持てずにいる人間(他責のひとで感謝できていない人間とも考えられる)や、

何かに執着をしているひと、欲に駆られているひと、ネガティブな感情に囚われているひとを見つけて

「お、コイツええ感じやん」とばかりに憑く。

自分だって魔の存在にいつ取り憑かれるかわからんと気づきました。

私自身も気をつけて生きていかねばと思っています。

前回、「魔の存在1」のなかで“私は見えたり聞こえたりしないので攻撃される対象は八十九やお嬢”と書いてました。

ちょっと間違ってました。私も攻撃されているんだと思います。

気づけないだけで、無性にイライラしたり、腹を立てたり落ち込んだり、急激に体調が悪くなったりしているのだと思います。

ただこれって生き霊に憑かれても同じような感じなんですよね。分かりにくいです。

私の最近の知見といっても、まだまだです。

間違っていることもあるかと思います。

知らないことだらけです。

もっと言えば「知らないことを知らない」し、「知っていることを知らない」こともあるでしょう。

え〜っ!そんなことが?ってことや、ちょっと思っていたことと違ったかもということがありましたらまた記事にしたいと思います。

ありがとうございました。