郡山城跡

竜胆です。

郡山城跡は奈良県大和郡山市にあります。

織田信長の時代に、筒井順慶が築城。豊臣秀吉の時代に、豊臣秀長が百万石の居城とし、大幅に拡張された。江戸時代には郡山藩がおかれ、水野氏、松平氏、本多氏などの統治の後、柳澤氏が入り幕末まで続いた。明治維新後、多くの建物は破却されたが、近年、追手門・櫓・天守台などが修復・整備され、城跡に一段と風格を添えている。「続日本100名城」(財団法人日本城郭協会)に認定されている。
城跡は桜の名所としても有名で、満開の桜のもとで開催される「大和郡山お城まつり」は多くの人々で賑わう。

訪ねた日はちょうど「大和郡山お城まつり」が開催されていました。

春休み中だったこともあってたくさんの人で賑わっていました。

「日本さくら名所100選」にも選ばれています。

桜のある風景っていいですよね。

みんなが笑顔になっています。私も八十九もニコニコでした。

天守台 天守閣は残念ながら残っていません。

郡山城の石垣には多くの“転用石材”が使用されており、天守台の北東裾には有名な「逆さ地蔵」があります。

「逆さ地蔵」

ありゃりゃ‥半ばうつ伏せで頭が下になっておられます。

柳沢神社

本丸跡に鎮座しています。

五代将軍徳川綱吉の側用人で柳澤家中興の祖、柳澤美濃守吉保公を祀る神社です。

吉保公は川越甲府城主となり、御子吉里公が国替で甲府より転じ、十五万石をもって郡山城に入城。以来六代140年余、明治維新までこの地を治め、繁栄へと導きました。明治13年、藩士によりご功績を称えると共に大和郡山の繁栄と安寧幸福を祈願し創建されました。

人がいっぱいで正面からの写真は撮れませんでした。

大和郡山は金魚で有名です。その起源は、吉里公が愛玩していた金魚を郡山に持ち込んだことにあるとされています。「お城まつり」では、拝殿前に金魚が並べられ、お花見もかねて多くの参拝者が訪れます。

祖霊社から天守台を臨む。立派な御神木ですね。

祖霊社にもお詣りさせていただきました。

ありがとうございました。

お堀で河童ちゃんたちがウォーターボーイズのように飛び跳ねていたそうです。

八十九からそれを聞いて

「え?河童ちゃん⁉︎ウォーターボーイズみたいなん?いいなぁ。見たいなぁ」とキョロキョロしました笑 まぁ見えませんけどね。

お堀の主さんにはちゃんとご挨拶をして許可を得ているそうです。