火の鳥

竜胆です。

私には信貴山朝護孫子寺の眷属である龍のマシロちゃんがついてくれています。

定年を迎えて新たな生き方を模索している私は💦さまざまなアドバイスを(八十九を通じて)いただいています。

といってもそこは龍なので非常に厳しくクールな、まぁ、いわゆる“塩対応”な感じです。

元旦に氏神さまで引いたおみくじは八十九ともども『大吉』でした。

しかし、このお正月はかつて経験したことのないような出来事があり、とにかくヤラレました。

個人的なことでここでお話しすることはできませんが、まぁまぁしんどいことでした。

思えば、秋あたりからマシロちゃんたちからは

『ゆっくりしろ。のんびりいけ』

『これまでしんどい思いをして充分働いてきたんやからな、ゆっくり楽しめ』

『こうでなければあかん、という思いを捨てろ』

「え?それはどういうこと?」と聞いても

『自分で考えろ!』という、ツレナイ返事。

「??どういうことなんやろ?私、もう死ぬんやろか」とか思ったりもしました笑

35年あまり💦フルタイムでずーっと働いてきた私は、思えばカチカチ頭に。ゆるゆると力を抜いて楽しむことが苦手になっていたのかもしれません。

「とにかく、ゆっくりしたらいいねんな」と思って迎えたお正月。

あった出来事に「うぎゃ〜!」というリアクションもできず、呆然とするばかりでした。

でも咄嗟に「あ、これがあるから、ゆっくりしろってしつこいくらいに言ってくれてたんや!」と思いあたりました。

もう3月になるこの頃になってようやく、冷静に受け止めることができるようになりました。

今では、おみくじの“大吉”を頂いたことも災い転じて福となるということなのかもと思っています。

で、タイトルの『火の鳥』のことです。(前振りながっ!)

マシロちゃんからのアドバイスの一つに

『手塚治虫の“火の鳥”を読んでみろ。そしてブログで紹介しろ』というのがあったんです。

「火の鳥」は八十九が全集を持っていました。私はこれまで一度も読んだことがありませんでした。

最初は漫画を読む気力もなく、ただ、ぼーっと過ごしていたのですが、マシロちゃんから重ねて言われ、そのあげく、精霊さまからも

『あんた(八十九)はがんばって漫画(DEAL)を描く、そしてあんた(私)は漫画(火の鳥)を読んでブログに書く。がんばりや』

と言われました。

そんなに具体的に言ってくれはるのは珍しいこと。なら‥よし!じゃあということで読みました。

“火の鳥”は1954年7月 – 1988年2月に手塚治虫先生が描いたシリーズ漫画で、みずからのライフワークと位置づけられた作品です。

不老不死と言われる火の鳥を追い求める主人公たち。古代から未来まで地球や宇宙を舞台に壮大なスケールで描かれています。

  • 1.黎明編
  • 2.未来編
  • 3.ヤマト編・宇宙編
  • 4.鳳凰編
  • 5.復活編
  • 6.望郷編
  • 7.乱世編 上
  • 8.乱世編 下
  • 9.異形編・生命編
  • 10.太陽編 上
  • 11.太陽編 下
  • 別.ギリシャ・ローマ編

「命とは?」「人間が生きるということとは?」「死とは?」

火の鳥の血を飲めば永遠の命を得られるという設定のもと、主人公たちはその火の鳥と関わりながら悩み、苦しみ、闘い、残酷な運命に翻弄されながら生きていく、(言い方を変えると)死んでいく物語です。

「火の鳥」 ー生と死ー   手塚治虫

ぼくは医学生時代、何度も人の死に立ち会った.

映画「赤ひげ」ではないが、死とのたたかいはなんと荘厳で神秘的なものだろう。

死を迎えたとき、その肉体のどこで、どのような仕組みがなされ、息たえたときに浮かぶ一種の法悦感は、なにを物語っているのだろうか?

死とはいったいなんだろう?

そして生命とは?

この単純でしかも重大な問題は、人類が有志以来とっくんで、いまだに解決されていないのだ。

ある人は宗教的にそれを解釈し、あるいは唯物論的に割り切ろうとする。

ある説によれば、霊魂は物質として存在し、肉体をはなれるときにはその重さだけ体重が減るという。

ふくざつな蛋白質 ーコロイドと呼ばれる状態ー には、擬似生命現象がみられ、ぎゃくにビールスの中には、生命があるのかどうかも疑わしいものがある。

生命が物質なら、それらにも霊魂があるのだろうか?

人間は何万年も、あした生きるためにきょうを生きてきた。あしたへの不安は死への不安であり、夜の恐怖は死後の常闇の世界の恐怖とつながっていた。人間の歴史の、あらゆるときに、生きるためのたたかいがなされ、宗教や思想や文明のあらゆるものが、生きるためのエネルギーにむすびついて進歩した。

「火の鳥」は、生と死の問題をテーマにしたドラマだ。古代から未来へ、えんえんとつづく「火の鳥」ー永遠の生命ー とのたたかいは、人類にとって宿命のようなものなのだ。

(1967年2月)

火の鳥 1 黎明編 最初のページから引用

※ウイルスのこと

マシロちゃんは、「お前のカタイあたまで読むと、「え?なんで?」と思うやろ?そうではなく「へーそうなんや」と受け止めろ。そして繰り返し読め』と言ってました。

手塚治虫先生は当時、何本もの連載を抱え、めっちゃ大変な状況で漫画を描いておられました。この状況でどうやってこの「火の鳥」を描かれたのか。

(ストーリーが)“降りてきた”としか考えられないやん!と思いました。

“生と死”あるいは“生まれ変わり”に関して、このところ「ひょっとしてこうなのかも?」と私が思っていることも描かれていました。

戦うことをやめられない、これは宿命なのか?と思う今の世界の状況。これも作品を読んでいてある種の既視感を感じました。

“生まれて死んでいくことの意味”を考えるのは生物の中ではきっと人間だけ。

生まれて死んでいくことの意味はなんでしょうか。

まだ一回しか読んでいません。

ここでしっかりとした“感想”を語ることができません。

繰り返し読んでみたいと思っています。

もしまだ読まれてなかったら図書館で借りるか古本で探してみる、Amazonなどでポチッとしてみてください。

どのような感想を持たれるしょうか。

私もまた気づきがあれば「火の鳥」について記事を書きたいなと思います。