時代は道家に傾くのだろうか・・・6

八十九です


時代は道家に傾くのだろうかの六回目で、切り口は”朱子学・陽明学”です。

江戸期には朱子学が官学として日本人の行動と思考を占拠していました。やがて明治・大正・昭和・平成・令和と時代を進めてなお、我々を取り巻いて離さないのはなぜでしょうか・・・端的に言えば、もうDNAに刷り込まれていると言ったところでしょう。ですが・・・とりあえず私の系譜をたどりながらその辺りを考えてみたいと思います。

私の父方の家系はお侍さんで、明治以降は一族のほとんどが役人・警官・教師・軍人になりました。そうです「朱子学的によってバリバリに塗り固められた一族」です。


私の祖父も海軍の職業軍人で、太平洋戦争時は駆逐艦の艦長をやっていました。その祖父の家庭での教育がどのようなものか・・・そう!御想像の通りです。


私が生まれた昭和30年代、祖父は海上保安庁に在職中で明治の道徳と価値観が人の姿をして歩いているような様子の爺さんでした。子供の頃に田舎に帰って会う爺さんは孫の私の目から見ても、なかなかの気骨溢れる爺さんだったといえます。


海軍兵学校ではなく高等商船からの士官任官組ですから参謀畑ではなく現場で軍艦に乗り続けました。結果、国は滅んで艦は沈み、ボロボロの再起は海上保安官という彼の精神を支えたもの・・・それはいったい何だったのでしょうか。


おそらく爺さんだけではなくて、この時代の日本人の精神の支柱を支えたものは明治期の道徳教育と、その源である江戸期の朱子学に相違ないと思います。


それゆえに、その祖父に育てられた父から家庭教育を受けた私は、大阪のド真ん中という商人の街で育ちながらも、旧態依然とした朱子学的道徳を親から躾けられる訳です。


そんな私ですが大人になってからは陽明学に傾倒します。説明が長くなると本題から外れますので簡潔に表現すれば「滅びの美学」と呼ばれている学問です。


陽明学は孟子の思想に分類されますが、私は根本的に違うなぁと思っています。孔孟思想家には「公:おおやけ」というものが実存し、時にその「公」は君主であったり、ある時代には政府であったりします。その縮尺を小さくすれば町内会であったりPTAや会社であったりもするでしょう。


つまり孔孟の徒は「公」に対して個人がどう振る舞うか、または「公の中の個人」としてどのように振る舞うかを論じているのです。


一方の陽明学では「聖人の道は自分の心の内に完全に内包されている。理(ことわり)を外部の事物に求めるのは間違っている」として朱子学を攻撃しました。


陽明学の目的は良知の実現であり、それは「知:認識」と「行:実践」を合一したものです。この考えを「知行合一」と説きます。


乱暴な言い方ですが陽明学徒は日々、己と向き合いながら研鑽を積み、目の前に現れた事象に対して行動しなければならないのです。ようするに他人から見て正しかろうが、はたまた間違っていようが、それは問題の外の事なのです。

大切なことは「この問題には己の行動が必要だと”心”が感応すれば、命を投げうってでも行動しなければならい」という学問?なのです。


朱子学と陽明学どちらも孔孟の思想に連なる学問ですが、朱子学が「公:他人」に恥じぬように生きる学問であるとすれば、陽明学は「己:魂や心」に恥じぬように生きる学問なのだと言えるでしょう。


私の勝手な思い込みですが現在、老荘の思想が我々に歩み寄って来ていると思っています。しかし、そんな今だからこそ日本の道徳・修身を形作ってきた朱子学と陽明学をもう一度、振り返る必要があるのではないかとも思っているのです。

今回はここまで。


荘子ってなあ・・・第六話”夢の中で夢占い”


Aさん「あんた、気持よく昼寝するなあ」
Bさん「うん、どうやら夢の中で夢占いをやっていたようだ」
Aさん「へえ、そりゃ驚きだ夢の中で夢占いねえ」
Bさん「そうだろ、俺も夢とは気づかずにいたからな」
Aさん「で!結果は、どんな夢占いが出たんだ?」
Bさん「夢を見ている俺が、夢占いをしている夢を見る夢占いだ」
Aさん「ややこしいな」
※夢の中で夢占いをすることさえあるが、目覚めて初めて夢だと気づくのだ。人生にしても長い夢のようなもの、悟った者だけがその夢であることに気づく。