竜胆です。
今回は病気のはなしです。
20年ほど前の話です。
急に左足の裏が痛み出し、歩くのに苦労するという事態になりました。
通勤で歩くのに、痛くて時間が倍くらいかかる感じでした。朝、職場に到着するまでにグッタリする感じでした。
当然、病院で診てもらったのですが、うーん‥という感じで解決せず。
有名な整形外科を受診しても
アーチが下がってるとか、一種の老化?とかって言われてシップ薬を処方されるのみという感じでした。
そのうち、今度は右手の指が痛み、肘が痛みだして、あれ?これってもしかしてリウマチかも?ってなりました。職場の近くの大きな病院で受診し、リウマチ薬が処方されました。
リウマチ薬を飲み出して2週間ほどした頃のことです。
突然蕁麻疹が出て手足がビリビリ痺れています。発熱もありました。
慌てて家の近くのクリニックに行ったら血液検査をしましょうってことになり、薬による急性肝炎を発症してることがわかりました。
数ヶ月仕事を休むことになり職場の皆さんには多大な迷惑をかけることになりました 涙
そんなこんなで私のリウマチとの付き合いが始まりました。

その頃は鎮痛剤やステロイド薬をずっと服用していて、その副作用で顔がまんまるになっていました笑
肘の痛みがひどく、仕事でマウスを動かすことができないような状態になりました。もちろん日常生活でもほぼ役に立ちません。
主治医と相談し、肘に人工関節を入れることに。
チタン製で、強くて頼りになりそうです。
お陰さまで6時間ほどかかって無事に手術を終えることができました。
手術後に入った部屋は6人部屋で、皆さん、リウマチの手術を受けたかこれから受ける方たちでした。
総じて楽しく明るい方たちばかりで間仕切りのカーテンは日中は開放して楽しくおしゃべりしていました。
その中で、印象に残っていたことがあります。
夕食後だったと思います。誰からとはなしにリウマチを発症した時の話になりました。
そこにいた6人全員がリウマチを発症したそのとき、家庭内で、または仕事上で問題があり、まあまあなストレスを抱えていたということがわかりました。
考えてみれば私自身も仕事で、あるプロジェクトのなか、1年近くしんどい思いをしていました。
“そうでなければいけない”という考えにがんじがらめになっていて一緒に働いている人たちに対して「なんで?なんでちゃんとやらないの?逃げて誤魔化して、そのせいで困るひと達のこと、考えてる?」なぁんて考えてギスギス、ガチガチになっていました。
おそらく、その時にリウマチにやられ始めていたんだなと思います。
今なら、その時の私にアドバイスができます。
今なら、その時の私が間違っていたことがわかります。

最悪な波動を発していたであろうことがわかります。間違いなく攻撃していました。
責任感というのは厄介なものです。
他責の人であってはいけませんが、独りよがりな責任感はあかん。
自分の力を知る、自分の限界を知ることは大切。
自分ではどうしようもないことで拗らせてしまってはいけない‥と、
ここまで書いてきて、ん?それも違うなと思いました。
やらねばならないこと、やるべきことはあります。
自分の手に負えないから、できない自分を認めて‥というわけにはいかないこともあります。
要は、そのとき、自分の心のありようをどのように持っていくか、コントロールするかということですよね。
自分の思い通りにならない人や状況を憎んだり、攻撃するのではなくそんな中でも自身の心を健康に保つことを意識して笑いを交えつつがんばるということが大切。
完璧にはできないかもしれませんが、それなりな結果を迎えることはできたのかなと思いました。
どうやっても、駄目ならなるようにしかならないとその時は諦めることも大事。

その後、頸椎もリウマチで亜脱臼状態になってしまい、やむなく固定手術を受けました。この手術は正直、精神的に応えましたです。今でも少し引きずっています。
新しく開発された生物製剤(レミケード)の点滴治療を受けることになり、おかげさまでそれ以上やられることもなく、この病気とお付き合いができています。
何よりも怖いのは笑う精神も忘れて、心が不健康な状態になることだと思います。

もし、今そのような状態に自分があるなぁと思われたら、身体に影響が出る前に、
とりあえず悩んでいることから自分を切り離し、客観視する。
自身でどうしようもないことなら、あらがわず、こだわらず諦めましょう。
自分の努力で変わることなら、攻撃せず、憎まず、明るく笑いを持って対処しましょう。
最近、わかってきたことですが、
あなたを悩ませるその出来事は、おそらくあなたが生まれる前に自身で設定してきたことです。
いろいろな世界線が存在するとは思いますが、大筋のシナリオはあなたが人生で学ぶために決めていることのようです。
私がリウマチになったのも、
痛い思いをしたり不自由な体験をすることで人の痛みを知る。
困難な事柄にどう向き合えばいいのか。
ということを学ぶためだったんだろうと思います。

以前に八十九の産土神さまがおっしゃっていたことを思い出しました。
その記事はこちら
笑いましょう。
