あけましておめでとうございます。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
竜胆です。
昨年の12月上旬、八十九とふたりで奈良県橿原市にあります、橿原神宮にお詣りしてきました。
二人とも橿原神宮は初めてです。大阪に生まれて60年余り、なぜか今までお詣りしたことがなかったんです。
記事が上がる元旦の今日はきっと大勢の初詣客でいっぱいだと思います。
橿原神宮の主祭神は第一代・神武天皇(じんむてんのう)と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命皇后(ひめたたらいすずひめこうごう)です。
とにかくスケールがでっかいです!
「日本書紀」や「古事記」には、神武天皇が日本を建国するまでの物語“神武東征(じんむとうせい)”が描かれています。
高さ約10mの巨大な第一鳥居をくぐり、表参道を進みます。約300m続く表参道の両側には、地名にちなんだカシの森が広がっています。
今から2600年余り前。天照大神の子孫といわれている神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)(のちの神武天皇)は、日向国(現在の宮崎県)の高千穂宮に住んでいました。45歳の時、すべての人々が平和で豊かに暮らせる国をつくることを決意し、日本の中心地を目指して東へと向かいます。
出発してしばらく順調な船旅が続きましたが、目指す大和の国(現在の奈良県)を目前にした孔舎衛坂(現在の東大阪)の地で、豪族・登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)の待ち伏せに遭遇。兄の五瀬命(いつせのみこと)が敵の放った矢に倒れます。
退却を余儀なくされ、海に逃れますが、これまで苦楽を共にしてきた兄が無念の死を遂げました。肉親を亡くした悲しみに追い打ちをかけるように、激しい暴風雨が船を襲います。
ようやく紀国(現在の和歌山県)の熊野に上陸した神日本磐余彦尊は、天照大神の遣わせた神鳥・八咫烏(やたがらす)の導きのもと、行く先々で土着の国つ神(くにつかみ)たちを付き従え、荒ぶる神々との争いを制し、最後は仇敵・登美能那賀須泥毘古との戦いにも勝利しました。
そうして神日本磐余彦尊は、過酷な苦難に遭いながらも、強い志と天照大神の力添えなどで窮地を切り抜け、ついに大和を平定。橿原宮で第一代神武天皇として即位しました。
ここから、日本という国の歴史が始まったといわれています。(“いざいざ奈良”サイトより)
神武天皇を祀る橿原神宮が鎮座するのは、「万葉集」にも歌われる畝傍山(うねびやま)の東南麓。まさに橿原宮があったとされる場所です。
背後に見えるのがその畝傍山です。
お正月の準備が進んでますね。
パノラマ撮影してみました。
内拝殿
橿原神宮の拝殿は、内拝殿と外拝殿を廻廊でつなぐ「二重拝殿型」となっています。美しいです。
八十九曰く、広い境内では“びっくりするほどの多くの八咫烏”の存在を感じたそうです。
続きます。